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福岡高等裁判所 昭和45年(行コ)10号 判決 1974年8月29日

控訴人・附帯被控訴人 熊本県知事

訴訟代理人 麻田正勝 外三名

被控訴人・附帯控訴人 渡辺嘉明

主文

一  本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人らの負担とする。

三  原判決主文第一項を次のとおり訂正する。

「控訴人が昭和二二年一〇月二日付でなした別紙(一)目録記載の農地に対する買収処分のうち別紙(二)図面青斜線表示部分並びに黒斜線表示部分に関する部分は無効であることを確認する。」

事実

一、二<省略>

三  当事者双方の主張と証拠関係は、次のとおり附加するほかは、原判決欄事実の記載と同一であるから、ここにこれを引用する。(但し、原判決二枚目裏一一行目の「熊本市第四地区農業委員会」とある次に「(昭和二六年法律第八九号により地区農地委員会の名称が改められたもの)」を加入し、同四枚目表三行目に「三四七平方米(三畝一五歩)」とあるのを「三八九・三〇平方米」と、同一〇行目に「三九八平方米(四畝歩)」とあるのを「三四七・五二平方米」と、同四枚目裏一、二行目に「三九六平方米のうち一九八平方米(二畝歩)」とあるのを「三四七・五二平方米のうち一七一・九五平方米」と、同四、五行目に「三九六平方米のうちの残りの一九八平方米(二畝歩)」とあるのを「三四七・五二平方米のうちの残りの一七五・五七平方米」と、それぞれ訂正し、同五枚目表九行目に「本件土地の耕作」とある次に「に」を加入し、同五枚目裏四行目に「一九八平方米」とあるのを「一七五・五七平方米」と訂正する。)

(控訴代理人の本案前の主張)

行政事件訴訟法第三六条によれば、行政処分の無効確認の訴えは、当該処分の存否またはその効力の有無を前提とする「現在の法律関係に関する訴え」によって目的を達することができないものに限り、これを提起することができる、とされている。

ところで被控訴人らは、本訴において、本件買収処分の無効確認を求めているが、買収処分が無効であれば、被控訴人らは、これを前提とする「現在の法律関係に関する訴え」によつてその目的を達することができるものであるから、本件訴えは、原告適格を欠く不適法なものとして却下されるべきである。

(被控訴代理人の本案前の答弁)

被控訴人らは、行政事件訴訟法第三六条に基き、本件訴えを提起しているものであつて、被控訴人らは原告適格を有し本件訴えは適法である。

(控訴代理人の本案についての陳述)

(一)  本件買収処分当時の訴外岡村直記(以下単に岡村という。)、同橋口喜三治(以下単に橋口という。)、同瀬川数馬(以下単に瀬川という。)の各耕作部分は次のとおりである。

すなわち、岡村の耕作部分は、別紙(二)図面赤斜線表示部分(以下(イ)部分という。)であり、橋口の耕作部分は、同青斜線表示部分(以下(ハ)部分という。)であり、瀬川の耕作部分は、同黒斜線表示部分(以下(ロ)部分という。)である。

右各耕作部分の各実測面積は、(イ)部分が三八九・三〇平方米であり、(ハ)部分が一七一・九五平方米であり、(ロ)部分が一七五・五七平方米である。

本件土地は右(イ)、(ハ)、(ロ)各部分により成り立つており、その実測面積は、七三六・八二平方米となる。控訴人は本件土地について、公簿上の面積を基礎として主張しているものである。

(二)  本件土地は、本件買収処分の結果、現在国の所有としており、岡村と橋口が農林省よりそれぞれ借り受けて、耕作を続けている。

(三)  仮りに、橋口と瀬川がいずれも右(ハ)、(ロ)各部分を、本件買収処分当時貸借していなかつたとしても、同人らは使用貸借による権限に基きそれぞれこれらを耕作していたものである。

(四)  仮りに、橋口の耕作が権限に基かないものであり、また瀬川の耕作部分が被控訴人の自作地であつて、本件買収処分についてこの点瑕疵があつたとしても、この瑕疵は客観的に明白ではないから、本件買収処分は無効ということはできない。

すなわち、行政処分の瑕疵が明白であるか否かは、行政処分の外形上客観的に誤認が一見看取しうるものであるか否かにより決すべきであつて、行政庁が怠慢により調査すべき資料を見落したかどうかは、瑕疵の明白性の判定には直接関係を有しないものである。

(被控訴代理人の附加陳述)

(一) 控訴代理人の陳述(一)の事実は争う。

(二) 本件買収処分当時、本件訴訟承継前の被控訴人亡渡辺嘉一郎(以下単に嘉一郎という。)は本件土地を全体として自作していたものであり、本件土地は自創法にいう自作地であつた。岡村、橋口は何ら正当な権限なく本件土地を不法に耕作していたものである。

(証拠関係)<省略>

理由

一  嘉一郎が、熊本市第四地区農地委員会の区域内に住所なく、同区域内にある本件土地を所有していたところ、控訴人が昭和二二年一〇月二日付をもつて、本件土地を、自創法第三条第一項第一号により不在地主の所有する小作地として買収処分をしたことは当事者間に争いがない。

二  まず、控訴人の本案前の申立について判断する。

本件土地は、本件買収処分の結果、現在国が所有しているものとして、岡村と橋口が農林省よりそれぞれその一部を借り受けて耕作を続けている旨の控訴人の主張事実は被控訴人らの明らかに争わないところであり、この事実によれば、本件土地は、自創法第四六条第一項により農林大臣の管理下にあつたものと推認される。

そこで、本件土地は、農地法施行法(昭和二七年法律第二三〇号)第五条により、国が農地法(昭和二七年法律第二二九号)第九条の規定により買収した農地とみなされ、これについては原則として同法第三六条により売渡処分がなされたものであり、これを否定する特別の事情をうかがえる資料はない。

そうすれば、本件においては、自創法による買収処分がなされ、将来その後続処分として農地法による売渡処分が法律上予定されているのであるから、被控訴人らは、売渡処分によつて損害を受けるおそれのある者であつて、売渡処分がなされる以前に本訴によつてこれを阻止する必要があり、本件買収処分の無効を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつてはその目的を達することができない場合に当るということができる。

従つて、被控訴人らは、行政事件訴訟法第三六条により本件買収処分の無効確認を求める原告適格を有する者であり、控訴人の本案前の申立はこれを採用することができない。

三  次に本件買収処分の効力について判断する。

(一)  本件買収処分当時、本件土地の一部を岡村が耕作していたことは当事者間に争いがない。

<証拠省略>と弁論の全趣旨を綜合すれば次の事実が認められる。

「1 岡村の右耕作部分は、別紙(二)図面赤斜線表示部分((イ)部分)(実測面積三八九・三〇平方米)である。

2 嘉一郎は、戦前先代より本件土地を含め一〇数町歩の農地を相続してこれらを所有していたが、昭和二二年七月頃まで約二七年間国鉄に勤務していた関係で自ら不動産を管理することが困難なため、本件土地については、末亡人となつて実家である嘉一郎方に戻り、その家事一切をとりしきつていた姉に、他の土地と共に管理を委任していた。岡村は昭和一三年頃神戸より熊本に帰住し、以来他人の農地を借りて耕作の業務に従事している者であるが、同年頃嘉一郎の姉より(イ)部分を借り双けてこれを小作し毎年年末に小作料を同人へ支払つており本件買収処分当時もこれを継続していた。」

右の事実が認められ、<証拠省略>中、右認定に反する部分はたやすく措信できず、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、岡村は本件買収処分当時、耕作の業務を営んでいた者であり農地である(イ)部分を賃借権に基きその業務の目的に供していたということができるから、(イ)部分はこれを自創法にいう小作地と認めるのが相当である。

そうであるとすれば、他の無効原因の主張立証のない本件においては、本件買収処分は少なくとも(イ)部分に関する限り有効なものといわなければならない。

(二)  次に本件土地のうち別紙(二)図面青斜線表示部分((ハ)部分)並びに黒斜線((ロ)部分)について検討する。

<証拠省略>に弁論の全趣旨を綜合すると、次の事実が認められる。

「1 (ハ)部分の実測面積は一七一・九五平方米であり、(ロ)部分の実測面積は一七五・五七平方米である。

2 橋口は、嘉一郎が勤務していた国鉄熊本管理局に大正一一年から昭和二三年まで勤務していた者であるが、昭和一四、五年頃、本件土地のうち、当時耕作されず放置されていた同部分と内部分を無償で耕作し、嘉一郎もこれをやむなく認めていた。昭和一六年頃、嘉一郎が(ロ)、(ハ)両部分を鉄道官舎の敷地として国鉄に売却する予定となつたため同人の要求により橋口は(ロ)、(ハ)両部分の耕作をやめた。(ロ)、(ハ)両部分はその後国鉄に買上げられないこととなり放置されていたが、橋口は二年位の後(ハ)部分を亡嘉一郎の了解なしに再度耕作するようになつた。嘉一郎は昭和一六年から同一九年まで約三年間門司勤務のため熊本を離れ同一九年三月再び熊本勤務となり同地に帰つたが、橋口が(ハ)部分を無断で耕作していることを知り同人に異議を述べたが、敢えてその耕作を排除することまではしなかつた。橋口の(ハ)部分の耕作は家庭菜園としての耕作であり、同人は嘉一郎に対して小作料その他の対価を支払うことなく、両者の間に賃貸借は勿論のこと使用貸借その他耕作に関する権限を生じさせるような事実はなかつた。

3 他方(ロ)部分については、嘉一郎が昭和一九年頃いずれも国鉄に勤務していた訴外中山信行と同瀬川数馬(以下単に瀬川という)の手伝をうけて家庭菜園として耕作して収穫された野菜に自家の用に供し、右両名にも任意に収穫物を自家に持帰ることを認めていたが、本件買収処分当時は、嘉一郎がこの耕作を放置していたため本件土地の近くに住む瀬川が耕作していたものであつて、同人の耕作については嘉一郎との間の賃貸借や使用貸借その他の契約関係等耕作の権限を発生させる事実はなく、従来の嘉一郎の耕作の手伝いが、自然に事実上瀬川一人の耕作になつてしまつていたものである。」

右の事実が認められ、橋口、瀬川各証言と亡嘉一郎の供述中右認定に沿わない部分はにわかに措信できず他にこの認定を左右できる証拠はない。

右認定の事実によれば、(ハ)部分並びに(ロ)部分は、いずれも本件買収処分当時、橋口、瀬川において権限に基いて耕作していたものではなく、従つて、小作地でなかつたものと認めるのが相当である。

そうであれば、本件買収処分には、(ロ)部分並びに(ハ)部分に関する限り、「重大な瑕疵」が存するものといわなければならない。

(三)そこで右の瑕疵が「明白」なものであるか否かについて検討する。

<証拠省略>と弁論の全趣旨を綜合すれば、次の事実が認められる。

「本件買収処分当時、本件土地は、外観上明らかに(イ)、(ロ)、(ハ)各部分に分かれ三人の者によつて各別に耕作されていたが、特に(ハ)、(ロ)両部分は農地として極端に細分されたものであり、終戦前後の食糧難の折柄、国鉄職員であつて農家ではない橋口、瀬川両名が職務の余暇に家族の食用の一助にと野菜を耕作したものであり、所有者であつた嘉一郎からは、農地委員会宛本件土地が小作地でない旨異議が出されていた。当時本件買収計画の樹立にあたつた熊本市第四地区農地委員会においては、同地区内にあつた数百町歩、数千筆もの大量の農地の買収事務を数次に亘り一括処理して居たが、本件土地については必要な調査をすることなく嘉一郎の異議を排斥して、本件買収計画を樹立し、他の多数の農地買収処分と共に一括して買収処分が行なわれるに至つた。本件買収処分後嘉一郎が、(ロ)、(ハ)両部分についてその取消を熊本県農地委員会宛陳情していたところ、同委員会において現地調査をなし審議した結果、本件買収計画の承認を取消すことに決定し、尚(イ)部分については分筆の上小作地としてあらためて買収計画を樹立するように昭和二五年一二月九日付で熊本市第四地区農地委員会長宛通知並びに指令を発した。これに基き熊本市第四地区農地委員会長は昭和二七年一二月二二日付で熊本県知事宛、農業委員会法(昭和二六年法律第八八号、昭和二九年法律第一八五号による改正前のもの)第四九条の規定により本件土地につき取消すべき買収処分の確認を申請し、同じく同日付で熊本県農業委員会長宛自創法第八条の規定により本件買収計画の承認取消し申請をなしたが、これら両申請書が熊本県において紛失してしまつたため右各申請に基いた本件買収処分は行なわれなかつた。」

右の事実が認められ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定の事実によれば、熊本市第四地区農地委員会が本件土地の買収計画の樹立に当り、必要な調査をして居れば、(ロ)、(ハ)両部分について、これが小作地でないことは容易に判明したであろうことが推認されるのであり、本件全立証によるもこの推認を覆すに足りる資料はないから、本件買収処分の(ロ)、(ハ)両部分についての前示瑕疵は明白なものであるといわざるを得ない。

(四)  右の次第であるから、本件買収処分は(ロ)、(ハ)両部分については無効というべきである。

四  よつて、被控訴人らの本件買収処分の無効確認を求める本訴請求は、(ロ)、(ハ)両部分に関する限度で正当として認容し、他は失当として排斥すべく、これと同趣旨の原判決は相当であるが、その主文第一項は本訴請求のうち認容部分の特定に十分でないと認められるので本判決主文においてこれを明確にするため訂正し、本件控訴並びに附帯控訴をいずれも理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用及び附帯訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤秀 諸江田鶴雄 森林稔)

別紙(一)

目録

熊本市十禅寺町字前田三九九番

一 畑七四三平方米(七畝一五歩)

(実測面積七三六・八二平方米)

以上

別紙図面<省略>

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